非対称戦争について書いてみたい。

これは仮想戦記作家が非対称戦争に、なんの知識も一般常識並みの認識しか持っていない、という記述を見つけたからである。

なんでも仮想戦記作家は第二次世界大戦などの知識に凝り固まっているため、それらを引きあいに出せない21世紀の現代戦について知識の流用が出来ないから、だそうである。

これは余りにも偏見があると思う。そのため私はこの疑惑を払拭すべく、ここに思うところを書いてみたい。

なお私は別に作家ではないし、モノを書いてお金を貰っているわけではない。言ってみれば気楽な身分である。

「責任を持たない者の発言は誰に影響を与えるわけでもない」。これは私が常々思っている事である。私の考えを表明しても精々が頭の体操に役立つ材料を提供するに過ぎない。

逆に高級官僚や政治家は責任を持っている。だから彼らの考えや発言は多くの人に影響を与える。とは言ってもたまにタレントや俳優が、自分がある種の見世物であるからこそ人々が注目する点を誤解して政治家になることがあるが、彼が出来る事はただの人気取りであり国家方針を間違った方向に進める害以外のなにごとももたらさない。

ネットについてもこれは言えるだろう。いかに正しい知識を持ち、ネット上における議論の強者になろうとも実際の現実で役立たなければなんの意味も無い。むしろ社会において害があるのではないだろうか。

知識とは実際に役立てるために学ぶものだ。歴史を学ぶのはその愚行と間違いを犯さないためであり、国を良い方向に導くためだ。科学について言うならば、歴史などよりもさらに直接的に日常生活を発達させるためである。

まあ長々と書いてしまったが結論を言うと、私がここでなにを書こうと如何なる責任も持たない人間の戯言であり、ここで書かれる意見を支持しようが不支持であろうがあまり意味を持たない、という事である。

歴史を玩ぶのが好きな同士に材料を提供する程度の事であると思っていただきたい。

 

 

さてこの非対称戦争についておさらいしたい。

この概念はアメリカ同時多発テロに際してアメリカ大統領ジョージ・ブッシュが「新しい戦争」と呼んだことによる。

この非対称戦争がかつての戦争とは違うのは国家の規模・軍事力・経済力、そして戦争目的があまりにも非対称的であるため・・・らしい。

私は非対称戦争について書く事にしているのだが、いまいちこの非対称戦争の概念が理解できない。

非対称性が歴史上の対立よりも際立っている点が注目されているようだが、今までの戦争においても当事国家同士の目的はまったく違った。

ボーア戦争における大英帝国と現地住民との戦争目的はまったく違った。南アフリカに住む現地住民に英国本土を攻撃できる能力があるわけでもないし、大英帝国の海洋通商路を妨害できるわけでもなかった。

この戦争が起こった理由は大英帝国がさして利益があるわけでもない土地と宝石に血迷ったからに過ぎない。

非対称戦争では生かされないと言われる第二次世界大戦についても言える。太平洋戦争における大日本帝国とアメリカ合衆国の戦争目的には差があった。

日本が要求できる条件講和内容としては精々が中華大陸における利権確保であり東南アジアまで確保できるわけがなかった。ましてやアメリカ本土戦など貯金箱を逆さまにしても不可能だった。

逆にアメリカ合衆国は東アジア全てを得る事であり、日本を根底から破壊してしまっても利益が得られた。

戦争目的という規模で言えば十分に非対称的だった。なにせ列強に名を連ねる地方大国を国家として崩壊させても利益が得られる、という懐の深さはアメリカ以外に達成不可能と呼べるものだろう。

非対称性が軍事力について言っているのだとしても、いささか納得できない。

例えば古代におけるローマとパルティアの戦いはかなり非対称的だった。ローマはいわゆるレギオンという歩兵戦術でもって挑んでいた。

軍隊における根幹である歩兵兵科の戦術をもって帝国を築く、という点に古代地中海世界の面白さがある。

レギオンは編成においても優れており、中隊・大隊編成などの基本単位は軍事組織の中心とすべきものであった。このような基本単位が軍事組織として世に出るのはおよそ1500年を待たなくてはならない。

ローマが短命の帝国ではなく長命な帝国として栄えたのは、この編成などに気を配り、軍事予算をなるべく的確に配分しようと心がけた点にも理由を見出せる。

一方のパルティアは弓騎兵、という独特の戦術を持ってローマに対抗した。弓は敵を全て射殺すような能力は備えていない。弓と言うのはそれほど強力ではなく、ある程度の鎧や盾を装備していればほとんど能力を失う。それでも陣形妨害能力に優れていた。

馬で近づいて弓を放つ。例え敵が盾で防御してしまおうとも構わない。一撃離脱を繰り返せばよいのだ。歩兵は騎馬よりも断然遅いから弓騎兵を捕まえられない。

弓騎兵に攻撃されればされるほど、防御のために陣形を組まねばならず攻撃陣形に出来ない。弓騎兵を追撃でもしようものなら陣形が崩れる。

だが、そんな弓騎兵にも問題があった。あくまで邪魔者として優れているのであって、会戦の決戦兵科になれるわけではないのだ。軽騎兵が突撃しても高が知れている。歩兵の密集陣形を突破できない。

これらの役目は重騎兵だったが、この時代、鐙が誕生してなかった。重い装備で馬に乗れなかった。つまり軽騎兵オンリーで戦わなければならなかったのだ。弓騎兵がいくらローマ軍の重装歩兵を悩ましても勝利は出来なかった。

だがパルティアはそれで構わなかった。パルティアはあくまで祖国防衛戦であって侵攻するのが目的ではない。ローマ軍を悩ませられればそれでよいのだった。

なおモンゴル帝国が巨大な版図を作れたのは弓騎兵と重騎兵の組み合わせ故だった。鐙が生まれ重い鎧を着て馬に乗れたのだ。そのため歩兵の密集隊形をいくらか崩せた。また弓騎兵の弓も強力になり鎧を一部では貫通できるほどになっていた。以上のような理由がモンゴル帝国の軍事的成功要因の1つだった。

まあ騎兵講座は良いにしてもローマとパルティアの戦闘目的は違い、戦闘教義は影響を受けてこれほどまでに違っていた。

あるいはアメリカ軍の「軍事における革命」通称RMAによって達成し伝達技術と他国軍の違いを指して言うのかも知れないが、これだって携帯電話やポケットベル、それにインターネットというのは民間を通して使えば同じようなものだ。

テロやゲリラ戦が大抵の場合、日常の延長で発生する限り伝播妨害を年がら年中行うわけには行かない。

言ってみれば非対称戦争という言葉そのものがどちらかといえば間違ってはいないか、と思うしだいである。

 

さてその非対称戦争とされているアメリカ同時多発テロ以降の戦争について議題を写そう。というよりこれらの戦争を書くために筆を起したのになぜか用語批判になっていた。

まあ話を続けよう。非対称戦争とはアフガン戦争(アフガニスタン侵攻)とイラク戦争の事である。

この2つの戦争の経緯と現状を説明する必要を感じない。では直接的に問題を扱ってみたい。

つまり何故この2つの戦争はアメリカに利益をもたらさず、なぜ戦争は悪い方へと向かっていくのか。

戦争はそもそも間違っている、などという戯言は国家が利益共同体である、ということを理解していない意見である。国家の利益になる戦争は確かにある。

では利益になる戦争と利益にならない戦争、その境界線はどこにあるのか?

答えは簡単。通商路である。

通商路を維持する、あるいは会得するための戦争は国家に利益をもたらす。一方、これ以外の戦争は国家に利益をもたらさない。

いくつかの事例を持ち出してこのことを証明しよう。

まず先ほど例に挙げたボーア戦争。大英帝国が仕掛けた戦争だが、別に現地住民に通商路を妨害する能力もなく、また南アフリカの地が通商路であった訳でもない。そのため大英帝国は勝利しても不利益の方が多かった。なにせ通商路が存在しない、ということは英国の経済圏に含まれて居ない、ということだからである。経済圏に含まれて居ない地域が英国に併合されても利益は薄い。

逆に正義なき戦争であるアヘン戦争には通商路が確かに存在した。中国の通商路を妨害する能力は小さかったが、英国に守るべき通商路は確かに存在したのである。そこで漢民族が味わう悲劇など、どうでもよいことである。道徳など犬に食わせれば良い。英国は確かにアヘン戦争で利益を得た。

第二次世界大戦も同じである。アメリカは日本を破壊しても多数の通商路を手に入れられた。そして日本はアメリカの通商路にリンクしていた。日本がアメリカに「併合」されている間であっても日本の経済はちゃんと機能したのだ。これがアメリカの日本統治が順調に行った理由である。

通商路とは物流でもある。重要な通商路とは物流も大抵の場合は大きい。アメリカと通商路が繋がっていない地域とは、つまるところ物流が小さいということだ。アメリカから効率的に物が流れないのであれば占領政策が旨くいくはずも無い。

つまり戦場に通商路のある・なしがその国にとって利益となる戦争となるかを決める分岐点だと思う。

また余談であるがこの点からするとローマ帝国が間違えようの無い大陸国家であったと断言できる。ガリア征服などに見る拡張は通商路の無い中を推し進めて成功している。

大陸国家の戦争は海洋国家とは根本から異なるのである。

さて2つの戦争を採点してみよう。

アフガニスタンは言うまでも無く中央アジアのど真ん中にある。海洋国家であるアメリカが支配する海から数百キロも内陸の土地だ。そんな場所に通商路があるはずもない。またアフガニスタンのタリバンにアメリカの通商路を妨害する能力もない。

イラク戦争も同じだ。アメリカが戦争をしてまで必要とする通商路をイラクが持っているわけではないし、イラクがアメリカの通商路を破壊する能力を、かつては持っていたが失敗してもうない。

湾岸戦争とイラク戦争で違うのは、クウェートがアメリカの通商路の1つだった点だ。と、同時にその当時からイラクにアメリカの通商路は繋がっていなかった。だからアメリカ軍はイラクに侵攻しなかったのだ。クウェートと言う通商路を維持するために仕掛けた戦争なのだから、十分に目的は達成していた。

そして湾岸戦争に敗れた事によってイラクはもはやアメリカの通商路を妨害する手段を失った。

テロを繰り返されようとも、イラクにアメリカの富を生み出す通商路を妨害できないのであれば、それは何の意味も無い。

 

ではアメリカ合衆国は同時多発テロでどうしたらよかったのだろうか。

恐らく直接的にはなにもしない、というのがもっとも良かったのだろう。もちろん愛国心を煽って北朝鮮やアフガニスタン、イラクなどを敵視するのは構わないしガス抜きのために必要な事でもある。

有志国家を募って海上臨検と経済封鎖を強化するのも良い。また北朝鮮に対してはいずれ敵対者として浮上する可能性のある中国が援助を行っている事を問題視し、国民に中国に対する危機感を植え付けておけばよい。

またそんなに石油が欲しいのであれば、中東では逆にイランあたりを厚遇してやるのも良いかもしれない。このさい対テロ包囲網の一環ということでイランを自陣営に引きずり込んで、ドル攻勢で経済を支配して民衆を味方につければ民主化すらできるだろう。

言ってしまえば外交攻勢をかけることが最善の解決策だ、ということである。通商路のない地域に戦争を仕掛ける訳には行かない。必ずや失敗するのだから、外交で解決するしかない。

テロの再発予防に国際警察網を強化しアメリカ国内では各情報機関を強化するしかないため、再度のテロが時間をかけて必ずや発生するだろうが、国家を1つ潰す戦争よりもよほど安上がりである。

 

さてまあ書いてみたのだが、どうだったろう?

現実のアメリカは恐らくイラクを手放さざるをえないだろう。通商路がないため本国から旨く物が流れないのだから当然だ。

飛行機と機関車によって物流は革命を起している、という人も居るが数字的に見ても物流の大部分は海運によって行われている。実際の経済ではさらにこの差は開くだろう。

つまりどう考えても通商路が左右する。そう戦争の必要性すら。

 

 

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