ガンダムを皮切りに人型巨大戦闘兵器は今や架空戦闘兵器の花形といっても過言ではありません。今回はその人型巨大戦闘兵器が現実に登場するためにクリアしなければならない難問について語ってみたいと思います。
まず兵器が実現するのに必要なものは何でしょうか?技術でしょうか?発想でしょうか?金でしょうか?
最初に世界を変えた新型兵器となった飛行機・戦車が戦争の基本となるまでを見ていきましょう。

1903年にライト兄弟がまず飛行機を飛ばします。そのあと飛行機は主に宣伝用として企業から資金援助を受けることで少しずつ資金を得ましたが、大抵の新技術が莫大な予算を必要とすることは自明の理であり、新技術には国家支援が欠かせないものでした。ですが大抵の国家が、そしてその国家から莫大な予算を得ている公共事業的な性格を顕著に持つ軍が、飛行機に対して期待を抱かなかったことから、民間企業からしか資金を得ていなかった飛行機の発展はおそおそとして進みませんでした。
それが一変したのは第一次世界大戦です。飛行機の有用性が偵察機として、そしてその次は同じ飛行機の敵対者としての戦闘機が、敵に打撃を与える爆撃機・攻撃機として進化していきました。そして第二次世界大戦では海戦に置いても戦艦を撃沈できる新兵器として確立したのです。
なぜ飛行機は発展できたのでしょう?
まず偵察機として確立したのは、空から視界が広く取れるためです。戦闘機として確立したのは兵器としてはあまり関係ありません。なぜなら戦闘機は確立した飛行機の迎撃者として現れただけだからです。爆撃機・攻撃機として確立したのは大きなことでした。なぜならこれこそが爆撃機・攻撃機の「攻撃力」の高さとなったからです。もちろん初期の爆撃機の搭載能力は低いものでしたから、精々が大型砲弾一発を投下できる程度だったでしょう。それなら飛行機など作らずに重砲を配備すれば良いではないか、と成るのは当然です。ですが戦場とはつまるところ、「最小単位」である「戦術の優劣によって決まる」と言ってよいでしょう。これは戦略を否定することには繋がりません。なぜなら戦略とは短期・長期合わせて、戦術において「相手を勝るものを用意するための行動」と言ってよいからです。もちろんただの一度も戦術で敗北しないようにしろ、と言っている訳ではありません。勝つための後退や撤退を行うことが戦略ですから当然このような戦術は容認すべきです。が、「一度も戦術で勝たないで、勝利することはできない」のです。歴史的な後手からの一撃でも、最小単位である戦術でどこかで勝らなければ、勝利するとは出来ません。つまり戦場の最小単位である「戦術に参加できていない兵力は、存在しても遊兵化してしまう」のです。もちろん囮や抑止力として敵を引きつけている部隊は別です。なぜならその部隊は敵の兵力を減らしているのですから、立派な得点を稼いでいます。そして飛行機はその機動力の高さから、迅速に動けるために、戦術に参加できる範囲が非常に広いことが、有効な兵器の理由として挙げられました。つまり機動力の低く、戦術に参加できない重砲10門よりも、飛行機1機のほうが戦術価値が高いのです。そして飛行機は初期から、この機動力の高さと言う利点によって、未来性の如何に関わらず戦場に投入されたのです。どんな兵器でも10、20年後の未来性があろうとも、現実の戦場に影響を与えられなければ意味が無いのでした。この戦場に対して瞬時に自己兵器としての効果を発揮する即応性、つまりいかに敵にダメージを与えたか、という機動力を含む「攻撃力」こそが兵器として最も重要なものでした。

次に戦車を議題に変えて紹介したいと思います。
戦車もまた機動力を含んだ「攻撃力」を持った兵器でした。車に歩兵を乗せて移動させると言うのは、この機動力を含む「攻撃力」に忠実なればこその発想でした。これによって歩兵は遊兵化せずに、戦争の最小単位である「戦術」に参加できたのです。そして戦車も、自ら大砲を持つことによって、直接的にも攻撃力を持ちながら、エンジンによって得る機動力によって、迅速な移動が可能であり、これによって機動力を含む「攻撃力」を達成していたのですが、これは後の話であり、最初に戦車に求められたのは防御力でした。
第一次世界大戦に置いて塹壕戦という陣地防御力によって戦線が硬直してしまったために、この打破を目的として作られたのが戦車だったのです。当時、歩兵突撃が最大攻撃力であった世界中の軍隊では、機関銃による防御力に対抗不可能だったのです。そこで編み出されたのが戦車でした。もちろんそれまでに多数の案が出され、実行されていました。例えば車輪のついた台車に鉄板を張り、人が人力で動かすという、戦車とまったく同じアイディアで作られた、防御兵器がありました。ですが人力で動かせる鉄板の量が限られていたために、有効ではなかったようです。そこで戦車はエンジンを設けることによって大量の鉄板を張り巡らすことになったのです。そして戦車は銃弾を弾くことから、戦線突破の兵器として使用されるようになったのでした。
ですがこの防御力の有用性も21世紀に入った現代では非常に怪しい物となっていました。対戦車火器が充実したために、戦車が容易に破壊されるようになったのです。例えば世界中で使用されておりもっともマイナーな対戦車ミサイルであるRPG-7の一般的弾頭であるPG-7VL-汎用弾頭では600mmのRHA(Rolled Homogeneous Armour圧延均質甲鈑)を貫通 することが出来るのです。もちろん戦車の装甲もただの鋼板から進化しており、装甲の上に爆発反応装甲(リアクティブ・アーマー)と言う装甲を装備しています。これは成形炸薬弾が爆圧で装甲を焼こうとするのに反応して、爆発反応装甲を切り離す装甲が配備されるようになっているのです。それでも戦車はその機動力を含む「攻撃力」の高さは、言うまでも無く強力です。まあ単純に「エンジンをつけて動くもの」、と言う産業革命以後の全てにおいて言える普遍的な人類の英知である機動力から派生した、飛行機を含む機動能力を持った兵器の陸上版代表である、自動車に装甲をつけて大砲を載せただけ、と言う単純な発想が戦車の原点なのですから、これ以上単純に仕様がないのが核心でしょう。
機関+大砲+装甲=戦車なのです。これ以上足すことも引くこともできません。
そして戦車はこの単純な方式によって誕生したが故に以後も戦場におけるスタンダードとなるでしょう。
ですが戦車が無用になったわけではありません。戦車は今でも平野であるなら、自らの火砲を使って一方的に攻撃できます。そして戦線突破能力は、もっとも装甲が固いことを求められた戦車が、必要な存在であり続けるでしょう。結論として戦車が求められたのが突破能力を含む「防御力」なのです。

この飛行機と戦車の戦場における発展は、その兵器としての戦争内での効率のよさによって成り立っています。この効率のよさとはもちろん人間にも当てはまります。人件費と教育費というのはどの社会に置いてもその重要性を下げるものではないからです。
飛行機で言えば、海戦において戦艦を撃沈できる兵器でありながら、駆逐艦より安かであり、数を用意できることが、効率のよさを証明しています。もちろん戦艦の防空火器によって撃墜される機もあるでしょうが、飛行機1機の値段など戦艦の一千分の一以下です。そして死ぬであろう乗員の教育費も、戦艦に乗り組む乗員と専門教育が必要なのでは同じです。一般に第二次世界大戦において戦艦に乗っていた2000人であるならば、飛行機が複座で2人乗りであろうとも、1000機分の乗員を用意できます。そして1000機もの航空機に襲われた戦艦が生き残れることなど軍事的原則において不可能です。例えその戦艦が未来から来ており、イージスシステムと対空ミサイル、近代防空火器を満載し、航空機がイタリア空軍のものであってもです。いえ逆にそのようなことになれば、イージスシステム搭載艦になった途端にレートが吊り上り、21世紀戦艦1隻=第二次世界大戦航空機1万機なんてことになりかねません。もちろん乗員は21世紀戦艦の方が教育費が高いです。それでは軍事的に言って敗北です。
戦車の効率のよさは、歩兵だけで戦線突破を行う際に払う犠牲を戦車をすりつぶすことによって出る犠牲との結果です。そしてその戦線が平野であるなら戦車は、戦線突破が可能でした。
この人件費を含む「効率性」も兵器に求められるものでしょう。

以上の
機動能力を含む「攻撃力」
突破能力を含む「防御力」
人件費を含む「効率性」
こそが兵器に求められる条件だと思います。
さてさて人型巨大兵器にこの3つがあるでしょうか?順を追って見てみましょう。

まず機動能力を含む「攻撃力」。
いきなり機動能力から難問です。もちろん飛行機と機動力比べてはしかたがありませんから、同じ陸上兵器である戦車と比べてみます。ですが難問と言ったのは、戦車はその単純さゆえにもっとも効率の良い移動方式である車輪を採用した兵器であるからです。それは車輪を開発した古代から現代までの有史5000年の間、車輪を人類が使い続けていることが証明しています。決して二足歩行ではありません。それは人間の赤ちゃんですら生まれた当初は二本足で歩くことが不可能なことも証明しています。二足歩行は非常に優れたバランスを必要とするのです。二足歩行は二本足の中間に体を置き続け、バランスをとらなければならず、さらに接地面とのバランスから言えば、総面積におてい数十分の一である足裏だけで支える人型と、高さを大部分低く抑え、全面積の何割にも及んで持てる車輪の一種であるキャタピラでは、あまりにも歴然としています。そして早く動こうとすればバランスを気にせねばなりません。そして例えバランスと動力を解決したとしても根本的に二足歩行よりも多足、あるいは車輪の方が早いことは、人間の走りと、犬やライオンなどの動物の走り、自動車の走りを比べれば一目瞭然です。つまり機動能力が低いのです。ここでは単純な速さだけを書きました。ですが戦場がただ平坦な平野ばかりでしょうか?いえいえそんなことはありません。山あり谷あり都市あり、もし平野でも塹壕を掘ればいいのです。こうすると少しは二足歩行が有利になってきます。多足では重心が全体に配られているために空いている部位がありません。まあ人口物なので「手」を作ってしまえばいいのですが。戦車はそのもちまえの接地面の多さでカバーするしかなくなります。そのため壁などがあると難しいですね。二足歩行ならばジャンプという方法があります。もちろんその場合に掛かるGは凄まじいものになり、部品があちこち壊れることを覚悟しなければなりません・・・。これを解決できたとしましょう。例えば強固な新素材が出来たとか。ですが同じ素材を戦車につければ戦車の方が効率的にパワーアップします。
そして攻撃力。人型といえばまず手などのアタッチメントで武器を使うのが基本でしょう。ですが武器を使った場合の反動はどうするのでしょう?現代の戦いでも戦車では2000メートル級の戦いを行っております。アメリカ軍の衛星を使った射撃ではどれくなのかは知りませんが、距離が跳ね上がることになるでしょう。そしてその中では数十センチのずれが数メートルのずれとなります。戦車などは砲を自らの胴体で覆ってしまい、戦車自体の重さによって安定性を確保しています。それが人型ではほとんど固定していない状態で、手で持っているだけです。これは人にも言えることで単純に拳銃を撃っても熟練しても少しは外れます。それが固定した拳銃が打てば真直ぐ飛びます。この単純な違いによってもはや人型の武器能力が低いことが丸わかりです。
こうして機動能力を含めた「攻撃力」では圧倒的に戦車のほうが上です。

次に突破能力を含めた「防御力」
「攻撃力」でも書きましたが、人型はバランスが非常に難しい形です。当然、装甲を付けすぎると倒れてしまいます。そして人型巨大戦闘兵器は巨大とつくだけあって大きいです。全高20メートルもあります。当然敵から目を引くために良い的です。そしてただでさえバランスに気をつけなければならないために薄い装甲しかつけられないのが、狙われる体中に配置されるために出来るだけ堅くしなければなりません。
ですが一方の戦車は接地面積が大きくありながら、コンパクトであるために、極限まで堅く出来ます。つまり人類最堅の陸上戦闘兵器、つまり最強の戦線突破兵器は間違いなく戦車に類する車両で間違いありません。

そして人件費を含む「効率性」
アダム・スミスは分業こそが資本主義社会の一歩であると説いています。軍隊もまた分業によってそれぞれに特化した部隊を持っていました。例えば工兵・歩兵・戦車・ヘリ・砲兵・炊事・医療などなどです。これごれが極限にまで部隊を特化させ、それぞれ合わさることによって弱点をなくし、強大な戦闘組織として機能しているのです。
この中で人型巨大戦闘兵器はどんな役割を預かるでしょう?まず主力陸戦兵器である戦車の役割を、と言いたいところですが、攻撃力を含めた「攻撃力」、突破能力を含めた「防御力」でも紹介したとおり、手と言う火砲だけを扱うには不出来な部位と、人型のバランスと大きさから薄い装甲では、突破戦力としては失格です。人型巨大兵器の利点となるのは手と足を使った柔軟性ですが、それもバランスを解決してからの話しです。そして解決したとして回ってくる役割はありません。柔軟性を利用した市街戦であるならば戦車に対して優勢に立つことが出来ますが、逆に歩兵の天下である市街戦への参加は、対戦車ミサイルの餌食になることに繋がります。
こうして人型巨大兵器はどっからどうみても軍隊で役割を得ることは出来ず、必然的に非効率となってしまうのです。

以上のような構想の結果、人型巨大兵器は兵器として不適格であることが立証されました。もちろん新技術においてパワーアップするなら使えるかもしれません。例えば特殊な動力での姿勢制御、敵の攻撃をはじく防御壁があれば良いのではないか、そう思ったのですが、姿勢制御装置など必要ない戦車の方が安かであり、防御壁なども戦車につけた方が有効です。
ただこれは人型兵器全般に言えることではありません。例えば人間だけであるならば、その手は武器を作れ、頭脳は哺乳類でも有数の面積比率を誇ります。ただ人型巨大兵器は武器を作る必要が無く、頭で考えないでコンピューターに任せれば良いために、この利点が生かせないのです。
また人間くらいの大きさの人型兵器であれば非常に有効です。例えば装甲服などです。もちろん機関が小さいために、装甲はそれほど多く張れないでしょうが、それでも小さいために対戦車ミサイルや砲撃から直撃を心配する必要が小さくて済みます。そして不利だった「手」と言う部位は、ありとあらゆる兵器を使える万能機器となります。
ですから人型兵器が出来るとすれば、それは巨大ではなく、人を少し大きくしたぐらいである2〜3メートルの人が着用する装甲服でしょう。
これが私が出した結論です。


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