89式自動小銃

要目

全長1.1メートル
重量4.5キログラム
口径6.5ミリ
初速808メートル

背景

中国内戦が勃発すると多数の兵器が中国へと渡り戦った。もちろん日本は自らの利権確保と強化。そして中国の分断を狙い政治的介入を行う。当然日本製の武器が大量に売り払われ、セールスのためと実際に中国軍を訓練するため、さらに戦訓を入手するために軍事顧問団が派遣される。軍事顧問団は中国で訓練部隊としても活躍し、セールスマンとしても申し分ないものだった。だがなによりも重要だったのが戦訓だ。中国内戦で武器を売り払ったのは日本だけではなく、武器を生産したことのある国の全ての兵器がこの場所にあった。さらに実際に果てしない戦場で使われているために実戦での成果が目に見える形で試され、知ることが出来るのだった。特にドイツが介入した後は、ドイツ製兵器の優秀さが知れ渡り、中には黎明期の戦車が大量使用される場面もあり、この対戦車戦を前提としたドイツ製戦車が、大陸に売られる歩兵支援車両でしかない日本製戦車を圧倒したために、以後の戦車開発に多大な影響を与えた。このような軍事兵器の見本店のような中国での兵器は日本に多数の戦訓と正しい兵器方針を抱かせるものとなる。
中国で活躍する携帯火器の中でも日本軍事顧問団の目を引いたのがチェコ製兵器であった。チェコは工業先進国として名高かったが兵器でも特に優秀だった。そのチェコ製兵器の中国で使われた1つがZH29であった。ZH29は当時最先端のセミオートマチック・ライフル(自動小銃)でボルトアクションとは違い手動排莢せずに弾が切れる間まで使える。そのぶん機械的信頼性が低いという難点もあった。実際に作ったチェコでも信頼性で軍が嫌いZH29を採用しなかった。だが作ったZH29は開発費の元を取るため在庫が中国へ輸出されたのだ。中国内戦での実戦成果は実に優秀で、日本軍時顧問団の目にとまるほどだった。ZH29を日本に持ち帰った軍事顧問団はすぐに自動小銃の生産を要請。自動小銃の有効性は少しずつだが広まっていた軍部だが実戦経験がないことから信頼性が低いことを理由に採用を見送っていた。それが実戦で活躍したと言う報告に腰を上げ、自動小銃の開発を始める。ZH29を作ったチェコの銃器工場にZH29の技術提供を要請。これをZH29の開発費は赤字だと覚悟していた銃器工場は喜んで受け入れ、チェコ政府にはもうひとつ中国内戦で活躍していた軽機関銃ZB26の日本軍バージョンを、ライセンス生産してチェコに外貨をもたらす事を約束したことで了承された。こうしてZH29は祖国から離れ異国で再起の産声を上げた。名称は89式自動小銃で、皇紀2589年(西暦1929年)の下二桁からとっている。その中身はZH29とほとんど変わっていないが使用弾薬が違った。こうして日本帝国陸軍は他の列強に先んじて自動小銃を正式装備する。これは海軍陸戦隊にも装備された。配備後の評価は良好でなにより多数の弾を一度に撃てる利点が好まれた。また元がチェコ製だけあって良く作動し整備も楽だった。だがボトルアクションに比べれば生産コストが高いことから、その配備はおそおそとして進まなかったため、太平洋戦争開戦前になんとか精鋭師団(陸軍2個師団・海軍陸戦隊1個旅団)が装備を完了していただけだった。第二次世界大戦になってもこの89式自動小銃の先進性は失われずに、先進国で唯一自動小銃を配備している国が日本とアメリカだけだということが、歩兵火器全般での連合軍有利に繋がった。また英国や勢力圏国家にも大量に供与されたことから、その生産数は600万丁にも上る。

個人的感想

陸戦兵器ではこれを作ろうと考えていたのが89式自動小銃です。ZB26も実銃ならば、日本軍でもこれを真似た自動小銃を作ったのも本当らしいです。ただめちゃくちゃマイナーみたいなようで・・・。

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